沿革

佐賀市水道事業

年代 できごと
平成17年
10月1日

市町村合併に伴い、旧佐賀市・旧大和町・旧諸富町の上水道事業を統合し、佐賀市水道事業としての合併創設認可を受けました。

平成17年
から
現在
給水収益の確保 伸び悩む給水収益の一因として考えられる大口需要家の地下水を水源とした専用水道への移行に歯止めをかけるため、平成19年3月検針分から一定の水量を超えて使用する大口需要者についての料金値下げを実施いたしました。また、一般の需要家については水道水の安全性やおいしさを直接市民にPRし、水道を身近なものに感じていただけるよう、職員が出向いて水道の仕組み、水道水の安全性、家庭でできるおいしい水の飲み方などを分かりやすく説明する水道出前講座を実施するなど給水収益の確保に向けた様々な取り組みを行ってまいりました。
佐賀市水道ビジョンの策定 総合的な水道事業運営の指針としましては、将来にわたり安全でおいしい水を安定的に供給していくため、現状分析と的確な課題把握を行った上で水道事業のあるべき将来像を設定し、これを実現するための施策を示した「佐賀市水道ビジョン」を平成19年3月に策定しております。
老朽化施設更新事業 「佐賀市水道ビジョン」では、その基本方針の一つに災害に強い水道を掲げ、老朽化施設の計画的な更新を行っております。配水管のうち、特に老朽化の著しい管路について、平成19年度から28年度の10年間で29kmを耐震管に布設替することとしており、地震等に強い管網整備を行っております。また、旧佐賀市の配水管理システムの老朽化に伴い、平成19、20年度の2か年継続事業で、配水管理システムの更新を行いました。この更新により旧佐賀市、旧大和町の上水施設及び簡易水道施設の配水管理の一元管理を行うことができるようになり、事業の効率化を図りました。

旧佐賀市水道事業

区分 年代 できごと
創設 明治
から
大正時代
佐賀市は藩政の初期に多布施川を改良し、嘉瀬川の清流を城下に導いて住民の生活用水としていました。
明治になると年々川の水質が悪化し、さらに伝染病の大流行もあって上水道布設の要望が高まってきました。
こうしたことから、大正元年1021日に市議会の議決を得て、国へさく井式水道の事業認可申請を提出しましたが、さく井式水道は我が国で最初の試みであったため内務省内でも慎重に調査検討が行われ、大正3318日にようやく認可を受け、大正3年10月から順次3か所の水源地の建設と配水管等の布設を実施しました。
こうして大正5年8月22日に給水認可の申請を行い、同年1125日に通水式が行われました。
創業当初は循誘、勧興、日新の3水源地から2,343戸に施設能力日量4,500立方メートルで給水を開始していました。

大正3年
さく井工事着手
発展 大正初期
から
昭和38年
需要量が増加して揚水量が不足するようになると大正11年7月には水質不良で廃井になっていた赤松水源地を復活させ、給水を開始しました。
この後は施設の増設や改良で順調に維持されてきましたが、昭和20年以後は人口の急増等によって極端な水不足となりました。
そこで5本のさく井を新設したものの、需要量に追いつかない状態になり、終日断水地区も発生しました。
市民からも新水源地の建設の要望が高まって、昭和2511月に上水道事業拡張建設本部を設置し、水源を河川表流水に求めることとしました。
関係諸機関と協議の末、昭和26928日に日量5,000立方メートルの取水許可を得て浄水場用地を取得し、昭和293月多布施川の河畔に神野浄水場を建設しました。
この浄水場の竣工と同時に循誘水源地を廃止し、昭和293月、10月、同304月の3回にわたる市町村合併に伴い、嘉瀬新村、蓮池の簡易水道を引継ぎ、新たに本庄、兵庫、高木瀬、鍋島に水源地を建設して、昭和38年には10か所(河川水1、さく井15本)の施設で19,500立方メートル/日の給水が可能になりました。

赤松水源地の
ばっき塔
拡張 昭和38年から
昭和55年
昭和37年8月地下水規制法の施行とともに、表流水への切替えを促進し、さらに人口の増加と生活様式の変化による大幅な需要への対応として、昭和40年3月8日に多布施川から日量30,000立方メートル(計35,000立方メートル)の取水許可を得ると同時に同年3月26日に事業認可を得て、昭和40年度からは5か年計画で神野浄水場に日量25,000立方メートルの施設を築造し、市内の幹線配水管の布設工事を実施しました。
その後、市街地周辺の住宅の激増で水需要は急速に伸び、計画最大給水量を上回るようになり、運休計画をしていた地下水源を継続運転する一方で、新規水利権としてさらに日量50,000立方メートル(計85,000立方メートル)の表流水を求めて、昭和45年2月にその許可を得ました。
そこで、昭和45年度から5か年計画で神野浄水場に日量25,000立方メートルの施設を増設し市内の管網を整備しました。
これに伴い兵庫、赤松、蓮池、嘉瀬、本庄、勧興、日新の7水源地は廃止しました。
地下水楊水に対して世論も厳しくなる一方、市民の水需要はますます増加するばかりで、地下水源を含めて60,900立方メートル/日の施設能力では危ぶまれる状況になりました。
そこで昭和50年度から5か年計画で事業の認可申請をし、昭和50年3月に許可を得て、多布施川右岸に用地を購入し、処理能力35,000立方メートル/日の施設を築造しました。
それと同時に市の北部地区の水圧調整のため金立圧送所を建設しましたなお、神野浄水場にあった5,000立方メートル/日の施設を廃止しました。

取水口工事および
浄水場本館築造工事
維持
管理
昭和58年から
現在

配水施設整備事業 昭和55年度から58年度までの4か年計画で普及率の向上を目標に、北部山麓に金立高所配水池を築造し、給水区域の拡大を図りました。また市内6か所に水圧監視用のテレメータを設置し、配水効率の向上を目指しました。


第二期配水施設整備事業 昭和50年4月に設立された佐賀東部水道企業団からの用水供給40,600立方メートル/日(現在30,610立方メートル/日)に対応するため、昭和59年度から平成2年度までの7か年計画で実施しました。
この事業は従来の一元給水から二元給水となるため、幹線配管網の拡充や市内全域の水圧を自動的にコントロールするための集中監視システムの導入や、老朽管及び経年石綿管の布設替を最重点に事業を推進して、事業の効率化を図りました。


配水管整備事業 平成3年度から12年度までの10か年間で残存石綿管177キロメートルの更新事業を行いました。また、平成13年度からは老朽化した硬質塩化ビニル管の更新も実施しています。


浄水施設の整備 浄水部門では臭気対策として粉末活性炭注入装置やPH調整用の消石灰注入装置の導入、それに安全性を考慮して塩素ガスから次亜塩素酸ナトリウムへの変換等を行ってきました。
また、水質の測定項目の増加に伴い水質試験設備の充実を図りました。

給水管対策給水装置工事部門では平成元年にそれまでの鉛管からポリエチレン管への変更や、平成6年には三階建直結給水を開始しました。

IT化 1/500給水戸番図をベースに種々の情報を一元管理できるように水道施設管理システムを導入し、配管工事の積算システムを導入してきました。
事務部門では事務の簡素化、ITに対応できるよう水道料金システムを更新し、情報ネットワークシステムを導入しました。また、情報公開の一環として平成13年10月にホームページを開設しました。


ISO14001認証取得 大量消費・大量廃棄の社会から循環型社会への転換が大きな流れとなるなかで、自らの環境負荷を減らすことはもとより、市民、事業者に様々な普及・啓発活動を行う一環として平成15年1月に環境マネジメントシステム(ISO14001)を取得しました。


金立高所配水地


神野浄水場の全景

旧大和町水道事業

旧大和町の水道事業は、昭和32年10月に平野部落営水道を引継ぎ平野簡易水道とし、同じく春日丘部落営水道を引継ぎ春日丘簡易水道として、それぞれ給水を開始しました。
また、尼寺地区部落営の水道を引継ぎ春日簡易水道として設立し、昭和35年9月より給水を開始しました。
さらに、昭和35年11月には、福田、惣座、平田、東山田、於保、久留間、吉富、今古賀、田端、大願寺の各部落が組合営として創され、昭和36年には江熊野、久池井がそれぞれ組合営として創設され、給水を開始されました。
伸び続ける人口増加により将来予測される水不足に対処するため嘉瀬川ダム建設事業に参画するとともに、平野簡易水道、春日丘簡易水道、春日簡易水道を統合し、福田、惣座、平田、東山田、於保、久留間、吉富、今古賀、田端、大願寺、江熊野、久池井の12組合営簡易水道を合併して平成4年に大和町上水道事業を発足しました。
その後、平成8年に横馬場地区高所配水池を新設し、平成12年には川上浄水場を整備し、地下水源として合わせて7,610立方メール/日の取水能力を有しています。

 

 

旧諸富町水道事業

旧諸富町の水道事業は、昭和32年に創設の認可を受け、筑後川から最大1,650立方メートル/日を取水し、筑後川の中州である大中島に浄水場を築造して昭和35年から給水を開始しました。しかし、取水地点が河口に近いこともあって、昭和38年には猛暑の影響で有明海からの塩水が逆流し、浄水処理不能となったことで水源を地下水に転換すべく調査し、昭和40年に深度215mの深井戸を大中島浄水場内に新設し、当面の水需要に対応しました。
しかし、その後も利用者の増加と生活環境の変化による水不足が生じ、また水源水質の不安定化が顕著となり、昭和47年以降、抜本的な計画変更を迫られることとなりました。
当時、既に筑後川総合開発に伴う新規都市用水配分も論議されており、旧諸富町においても恒久的水源として5,000立方メートル/日が確保されておりましたが、その処分が決定するまでの措置として、県営工業用水道事業からの暫定分水を水源とした浄水場の新設に着手し、昭和51年に完成しました。
これにより水道の安定給水が確保され、昭和55年には普及率も100%に達しました。昭和62年11月からは佐賀東部水道企業団用水の一部供用開始により、工業用水と併用の形で給水することとなり、平成6年4月に他の4町と共に佐賀東部水道企業団水道事業に統合し、経営を移管しました。

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